キングダム 廉頗、その名は趙国が誇る三大天の一人。
顔中傷だらけで戦好きな豪快な性格をしながらも、
あらゆる戦術に精通した知将としての一面を持ち合わせています。
秦や燕を破った戦績を持ち、秦の六将に対しては複雑な感情を抱く、
まさに文武両道を地で行く将軍です。
そんな廉頗の生涯には、藺相如との”刎頸の交わり”や、
悼襄王との対立、魏での不遇な日々など、様々なドラマが秘められています。
今回は、キングダムに登場する廉頗の人物像に迫ります。
この記事のポイント
・廉頗の生涯や人物像について理解できる
・藺相如との逸話や秦の六将に対する感情など、廉頗の人間性について知ることができる
・廉頗の戦術家としての側面や武力の高さについて学べる
・廉頗の直属の部下「廉頗四天王」についての情報が得られる
キングダムに登場する廉頗(れんぱ)とは
・趙(ちょう)の将軍だった廉頗
・秦(しん)や燕(えん)を破った戦績
・趙の宰相・藺相如(りんしょうじょ)との逸話
・刎頸の交わりの意味
・失脚して魏(ぎ)に亡命
趙(ちょう)の将軍だった廉頗
キングダムに登場する廉頗は、中国戦国時代の趙国の将軍として活躍した人物です。
史実においても、廉頗は趙の将軍として知られており、恵文王(けいぶんおう)、孝成王(こうせいおう)の二代にわたって活躍したとされています。
キングダムでは、元々は趙国で最強の三人の大将軍『三大天(さんだいてん)』の一人であったと描かれています。
いかなる国に渡ろうとも、三大天の名は健在であるほどの実力者だったのです。
廉頗は顔中傷だらけで、戦が自分の全てと言い切るほどの戦好きな性格をしており、豪快な性格の持ち主として描かれています。
秦(しん)や燕(えん)を破った戦績
廉頗は将軍としては比類無い功績の持ち主であり、彼が現役の間は大国秦もうかつに手が出せなかったほどの実力者でした。
史実でも、秦や燕を破るなどの戦績を残しています。
キングダムでは、あらゆる戦術に精通した戦術家であり、剛力無双(ごうりきむそう)の勇士でもあると描かれています。
秦の六大将軍に対しては最大の敵でありながら友のような想いを抱いており、白起(はっき)が自害した時は泣き、摎(かく)が無名の龐煖(ほうけん)に討たれた時は怒りに満ちたと言います。
趙の宰相・藺相如(りんしょうじょ)との逸話
廉頗を語る上で外せないのが、趙の宰相である藺相如との”刎頸(ふんけい)の交わり”のエピソードです。
藺相如は食客の身分から立身した実力者でしたが、当初廉頗は彼を成り上がり者として嫌っており、機会があれば侮辱してやろうと周りに吹聴していました。
それを聴いた藺相如は廉頗に会うのを避けるようになりましたが、藺相如は「私は廉頗将軍が怖いのではなく、彼と対立することで趙国の守りが弱くなることを恐れているのだ。意気地無しに見えるかもしれないが全ては趙国のためなのだ」と部下に諭しました。
人づてにその言葉を聞いた廉頗は己の態度を恥ずかしく思い、藺相如のもとに足を運んで詫びを入れました。
藺相如は笑って許し、その態度に感激した廉頗は「私はあなたのためなら頸(くび)を刎(は)ねられても悔いは無い」と語り、彼と友情を交わしたのです。
刎頸の交わりの意味
漢文の教科書にも登場する有名なエピソードである”刎頸の交わり”は、「命をかけた友情を交わした親友」という意味で現在も使われています。
廉頗と藺相如の逸話から生まれたこの言葉は、非常に強い信頼関係や友情を表す言葉として定着しているのです。
二人の間に起きた出来事が、後世に与えた影響の大きさが伺えるエピソードだと言えるでしょう。
失脚して魏(ぎ)に亡命
廉頗は晩年、孝成王の次の王・悼襄王(とうじょうおう)と対立して失脚してしまいます。
史実では、魏に亡命するも信任されず大軍を率いることはなかったとされています。
キングダムでは、王の悼襄王から三大天の剥奪を言い渡されますが、それに激怒した廉頗は討伐に来た楽乗軍(がくじょうぐん)を返り討ちにし、魏へ亡命します。
しかし、亡命してから三年も戦に出ておらず、魏の国王・景湣王(けいびんおう)に嫌われて不遇な扱いを受けているとされていました。
ただ、それは嘘で景湣王から信用されていたという描写もあり、廉頗の真の立場は不明瞭です。
キングダム廉頗のキャラクター像
・豪快な性格の大男
・あらゆる戦術に精通した戦術家
・剛力無双の勇士
・秦の六将に複雑な想い
・直属の配下「廉頗四天王」
・悼襄王との対立
・魏での不遇な扱い
・輪虎の死に激高
・楚(そ)への亡命
・まとめ:キングダム の廉頗とは
豪快な性格の大男
キングダムに登場する廉頗は、顔中傷だらけで戦好きな豪快な性格をした大男として描かれています。
趙国が誇る三大天の一人であり、どこへ行こうとその名は知れ渡っているほどの存在感を放っています。
戦が好きで、戦場に出ると自分の全てを戦に捧げるかのような姿勢を見せ、熱い男としての一面を覗かせています。
しかし、その一方で仲間想いな部分もあり、藺相如との逸話や秦の六将に対する複雑な感情などからは、人間味溢れる性格も垣間見えます。
豪快でありながらも憎めないキャラクターとして、作中屈指の存在感を放っていると言えるでしょう。
あらゆる戦術に精通した戦術家
廉頗はあらゆる戦術に精通した知略に長けた将軍でもあります。
自ら先陣に立って戦うだけでなく、兵を指揮し的確な判断を下す軍師としての顔も持ち合わせているのです。
キングダムでは、魏に亡命した際に、三年間も戦に参加せずにいたにも関わらず、蒙驁(もうごう)軍との戦いでは秦軍本陣への奇襲を成功させるなど、卓越した采配を見せています。
まるで戦場を一望のもとに収めているかのような大局観を持ち合わせており、趙国の大将軍の中でも知略の面で頭一つ抜けた存在だったと言えるでしょう。
作中では戦術家としての一面が色濃く描かれており、知将としての廉頗像が印象的です。
剛力無双の勇士
廉頗は戦術家としての側面だけでなく、己の武力にも絶対の自信を持つ勇士でもあります。
キングダムでは、蒙驁との一騎打ちで怪力を見せつけたり、龐煖との戦いでは互角以上に渡り合ったりと、武力の高さが描写されています。
まさに文武両道を地で行く将軍だと言えるでしょう。
特に蒙驁との一騎打ちでは、持ち前の怪力で蒙驁の予想を超え、その力量を見せつけました。
さすがは三大天と呼ばれるだけの実力者だと、読者に印象付ける場面だったと言えます。
秦の六将に複雑な想い
廉頗は秦の六大将軍に対して、最大の敵でありながらも友のような複雑な感情を抱いています。
白起が自害した時は涙を流して悲しみ、摎が討たれた時は怒りに震えたというエピソードからは、彼らに対する尊敬と友情が垣間見えます。
作中でも王騎(おうき)と会った際には、友としての一面を見せる場面があります。
将軍同士、時に命を懸けて戦う相手でありながら、武人としての誇りや美学を共有し合う間柄であることが伺えるのです。
ライバルであり、また戦友でもあるという六将との関係性は、廉頗の魅力の一つだと言えるでしょう。
直属の配下「廉頗四天王」
廉頗の直属の配下には、「廉頗四天王」と呼ばれる四人の将軍がいます。
介子坊(かいしぼう)、輪虎(りんこ)、姜燕(きょうえん)、玄峰(げんぽう)の四人は、いずれも廉頗直下、廉頗の指揮下にある精鋭部隊です。
作中では、蒙驁軍との戦いの際に、四天王それぞれの活躍が描かれています。
輪虎に至っては、秦国の有能な千人将や将軍の暗殺を命じられるなど、廉頗の遠大な策にも一役買っている様子が窺えます。
「三大天」と「廉頗四天王」という二つの枠組みからは、廉頗の将軍としての力量の高さが改めて浮き彫りになっていると言えるでしょう。
悼襄王との対立
廉頗は趙の王・悼襄王と対立し、失脚するに至ります。
作中では、廉頗が悼襄王の素行の悪さを度々諌めていたことから、自身を恨んでいた悼襄王から三大天の剥奪を言い渡されたと描かれています。
しかし、それを拒否した廉頗は討伐に来た楽乗軍を返り討ちにし、魏へと亡命します。
史実では詳しい経緯は不明ですが、廉頗が失脚した背景には、悼襄王との確執があったことが伺えます。
王権と武人の力関係、そしてそれがもたらす悲劇を象徴するかのようなエピソードだと言えるでしょう。
魏での不遇な扱い
廉頗は魏に亡命した後、景湣王に嫌われて不遇な扱いを受けていたとされています。
亡命してから三年もの間、戦に参加することはありませんでした。
作中ではその様子について、廉頗が景湣王から信用されていないかのように描かれています。
しかし、実際はそれが嘘で、景湣王は廉頗を信用していたというどんでん返しもありました。
真相はともかく、異国の地で過ごす廉頗の姿からは、武人の悲哀のようなものが感じられます。
それでも戦場に身を置き、己の信念に生きる廉頗の在り方は、読者の胸を打つものがあると言えるでしょう。
輪虎の死に激高
魏での不遇の日々の中、廉頗にとって大きな転機が訪れます。
それは直属の部下である輪虎の死でした。
魏に亡命する際、共に付いてきた輪虎でしたが、秦軍との戦いで命を落としてしまいます。
その知らせを聞いた廉頗は激しく動揺し、怒りに震えました。
想像の域を出ませんが、輪虎は廉頗にとって特別な存在だったのかもしれません。
あるいは、配下の将軍を失うことへの無念さが怒りとなって表れたのかもしれません。
いずれにせよ、廉頗の感情の揺れ動きからは、武将としての苦悩や葛藤が見て取れます。
楚(そ)への亡命
史実の廉頗は魏から楚に亡命し、そこで死去したとのことです。
キングダムでは、楚への亡命については描かれていませんが、今後のストーリー展開次第ではその可能性も考えられます。
楚は当時、秦と並ぶ大国の一つであり、政変や権力闘争など不安定な情勢が続いていました。
そのような中で、廉頗が亡命してきたとすれば、彼の力量を買われて重用される可能性は十分にあるでしょう。
一方で、異国の地で再び戦場に身を置くことになる廉頗の心境にも注目が集まります。
故郷である趙を離れ、魏でも不遇の日々を過ごした彼が、楚でどのような活躍を見せるのか。
あるいは、新天地でも武人としての悲哀を味わうことになるのか。
廉頗の人生の終焉を描くことで、キングダムはさらなる深みを増すことになるかもしれません。
まとめ:キングダム の廉頗とは
・廉頗は中国戦国時代の趙国の将軍で、キングダムでは「三大天」の一人として描かれている
・廉頗は顔中傷だらけで戦好きな豪快な性格をしており、戦術にも精通した知将である
・秦や燕を破るなどの戦績を残し、秦の六大将軍に対しては複雑な感情を抱いている
・趙の宰相・藺相如との”刎頸の交わり”のエピソードは非常に強い信頼関係や友情を表す言葉として知られている
・廉頗は晩年、趙王の悼襄王と対立して失脚し、魏に亡命するも信任されず不遇な扱いを受けた
・直属の配下には「廉頗四天王」と呼ばれる介子坊、輪虎、姜燕、玄峰の四人の将軍がいる
・悼襄王から三大天の剥奪を言い渡されるが、討伐に来た軍を返り討ちにして魏へ亡命する
・魏での不遇の日々の中、直属の部下である輪虎が戦死し、廉頗は激しく動揺し怒りに震えた
・史実では廉頗は魏から楚に亡命し、そこで死去したとされている
・キングダムでは楚への亡命は描かれていないが、今後のストーリー展開次第では可能性がある
・異国の地で武人としての悲哀を味わうことになる廉頗の心境にも注目が集まる
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