キングダムに登場する紀彗(きすい)は、民から慕われる完璧な城主兼将軍です。
若き日に馬呈、劉冬とともに活躍し、慶舎にも知勇兼備の名将として認められました。
しかし、離眼城が唐釣に落とされ、父と主要な大人達が処刑されるという悲劇に見舞われます。
それでも紀彗は民を守ることを諦めず、将軍としての強い意志を持ち続けました。
その生き様は、民を想う将軍の鑑と言えるでしょう。
この記事のポイント
・紀彗の生い立ちや人物像、趙国内での評価について理解できる
・旦虎の戦いや黒羊の戦いなど、紀彗の主な活躍について理解できる
・離眼城が唐釣に落とされ、父と主要な大人達が処刑されるという紀彗の悲劇について理解できる
・民を守ることを諦めない、紀彗の将軍としての強い意志と生き様について理解できる
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キングダムの紀彗(きすい)、その生い立ちと人物像
・離眼城(りがんじょう)の城主である紀彗の父、紀昌(きしょう)
・若き日の紀彗は馬呈(ばてい)、劉冬(りゅうとう)とともに活躍
・知勇兼備の名将として慶舎(けいしゃ)に認められる
・離眼城の民から慕われる完璧な城主兼将軍
・趙国内では知る人ぞ知る実力者
離眼城(りがんじょう)の城主である紀彗の父、紀昌(きしょう)
紀彗の父、紀昌は離眼城の城主でした。
紀昌は善政により民に信頼され、民と強い絆で結ばれていたと言われています。
当時、離眼城の一帯はまだ統治されておらず、暗何城(あんかじょう)と離眼一帯の覇権をめぐって争っていましたが、趙の首都・邯鄲(かんたん)では地方の小競り合い程度の認識だったようです。
しかし、その実態は戦争と呼べるほどに大規模になっていったのです。
若き日の紀彗は馬呈(ばてい)、劉冬(りゅうとう)とともに活躍
紀彗が20歳くらいの若かりし頃、馬呈と劉冬とともに台頭すると、戦局は離眼側に傾き出しました。
彼らの活躍により、日々勢いを増す離眼側に対し、暗何城の城主・唐寒(とうかん)は決戦に打って出ます。
唐寒は自身の財をはたいて離眼兵の五倍に及ぶ兵を周辺から集め、「旦虎(たんこ)の戦い」と呼ばれる作中の離眼では有名な戦争を展開しました。
最後は数の暴力を掻い潜った紀彗が唐寒を討ち取ったことで離眼側は勝利したのです。
知勇兼備の名将として慶舎(けいしゃ)に認められる
紀彗は、知勇兼備の名将として慶舎から副将に抜擢されました。
黒羊では、黒桜軍と対峙し、二日目に押されている中央丘の味方の前に姿を現して鼓舞し、反撃して黒桜軍を後退させるなど大活躍を見せています。
慶舎の死後、金毛(きんもう)を説き伏せて継戦したことで実質的な総大将になりましたが、これも紀彗の実力が認められていた証と言えるでしょう。
離眼城の民から慕われる完璧な城主兼将軍
紀彗は離眼城の民から慕われる完璧な城主兼将軍でした。
父・紀昌の善政を受け継ぎ、民と強い絆で結ばれていたのです。 旦虎の戦いでは、馬呈や劉冬も深手を負うほど離眼側の損傷も甚大でしたが、最後は紀彗の活躍により勝利を収めました。
民を守るためなら命を惜しまない、そんな紀彗の姿勢が民の心をつかんでいたのでしょう。
趙国内では知る人ぞ知る実力者
紀彗は趙国内では知る人ぞ知る実力者でした。
離眼城の一帯はまだ統治されておらず、地方の小競り合い程度の認識だった首都・邯鄲ですが、紀彗の活躍により離眼側が優勢になると、その名は徐々に知れ渡っていったのです。
黒羊編で慶舎に認められ副将に抜擢されたことで、その実力が証明されたと言えるでしょう。
鄴編では李牧(りぼく)によって馬呈と共に召喚され、朱海平原では趙軍右翼の指揮を担うなど、重要な役割を任されています。
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キングダム 紀彗の活躍と悲劇
・黒羊丘(こくようきゅう)の戦いで副将として大活躍
・慶舎の死後、金毛を説得し継戦を決意
・桓騎(かんき)の非道な戦略により離眼を見捨てられず
・黒羊丘の戦いの敗北を招き、離眼を放棄
・離眼の悲劇 – 父と主要な大人達が処刑される
・朱海平原(しゅかいへいげん)の戦いでは趙軍右翼の指揮を執る
・蒙恬(もうてん)の策によって膠着状態に陥る
・最終的に敗北し、民とともに灰城(かいじょう)へ移住
・まとめ:キングダムの紀彗とは
黒羊丘(こくようきゅう)の戦いで副将として大活躍
紀彗は黒羊丘の戦いで副将として大活躍しました。 二日目に押されている中央丘の味方の前に姿を現して鼓舞し、反撃して黒桜軍を後退させるなど、知勇兼備の名将としての手腕を遺憾なく発揮したのです。
慶舎の死後、金毛を説き伏せて継戦したことで実質的な総大将になりましたが、これも紀彗の実力と人望の表れと言えるでしょう。 まさに黒羊軍の要とも言える存在だったのです。
慶舎の死後、金毛を説得し継戦を決意
慶舎の死後、紀彗は金毛を説き伏せて継戦を決意しました。
慶舎亡き後、黒羊軍は大きく動揺しましたが、紀彗が率先して金毛を説得したことで、戦いを続ける決意を固めたのです。 これは紀彗の人望の厚さを示すエピソードと言えるでしょう。
慶舎の右腕とも言える存在だった紀彗だからこそ、金毛も納得したのかもしれません。 紀彗の存在なくして、黒羊軍の継戦はなかったと言っても過言ではないでしょう。
桓騎(かんき)の非道な戦略により離眼を見捨てられず
しかし、桓騎の非道な戦略により、紀彗は離眼を見捨てられない状況に追い込まれてしまいます。
桓騎が離眼を狙ったことで、紀彗は民を見捨てられず、黒羊から撤退せざるを得なくなったのです。
離眼城には紀彗の肉親も多くいたことでしょう。 将軍としては敗北を喫しましたが、民を守るという信念を貫いた紀彗の判断は、民から慕われる所以だったのかもしれません。
黒羊丘の戦いの敗北を招き、離眼を放棄
結果として、紀彗の離眼を見捨てられない判断が、黒羊丘の戦いの敗北を招くことになってしまいました。
離眼を放棄し、灰城へと流れることを選択せざるを得なかったのです。
将軍としては敗北でしたが、民を守ることを選んだ紀彗の決断は、彼の人となりを示すエピソードと言えるでしょう。
民を見捨てることができない、その強い信念こそが紀彗の魅力だったのかもしれません。
離眼の悲劇 – 父と主要な大人達が処刑される
しかし、紀彗が唐寒の残党を追っている間に、離眼城は唐寒の息子・唐釣(とうきん)によって落とされてしまいます。
離眼城の女・子ども・老人は全員人質となり、唐釣は成年以下の年齢が解放の対象となるように譲歩しましたが、主に老人などある程度の年齢の大人は処刑されるのと引き換えに、紀昌と将校・兵の投降を迫ったのです。
紀彗にとって、これは父と主要な大人達が処刑されるという悲劇でした。 民を守るために戦ってきた紀彗にとって、最も避けたい結末だったことでしょう。
朱海平原(しゅかいへいげん)の戦いでは趙軍右翼の指揮を執る
鄴編で李牧によって馬呈と共に召喚された紀彗は、朱海平原の戦いでは趙軍右翼の指揮を執りました。
初日に楽華隊(がくかたい)と麻鉱軍(ばこうぐん)によって窮地に陥るも、李牧が麻鉱を討ち取ったことで形勢が逆転し、一気に麻鉱軍を壊滅させようとしますが失敗してしまいます。
それでも紀彗の指揮は健在で、右翼の将として趙軍を支えました。 離眼の悲劇を経験した紀彗だからこそ、必死に戦ったのかもしれません。
蒙恬(もうてん)の策によって膠着状態に陥る
その後、左翼の将となった蒙恬の策によって、戦況は膠着状態に陥ります。
紀彗率いる右翼軍も、秦軍中央軍をかすめるように動いて馬呈を回収するなど奮闘しますが、最終的には敗北してしまったのです。
蒙恬の策に苦しめられたのは、紀彗だけではありませんでした。 李牧ですら、その策に屈したと言えるでしょう。 しかし、紀彗は最後まで民のことを想い、戦い抜きました。
最終的に敗北し、民とともに灰城(かいじょう)へ移住
朱海平原の戦いで敗北した紀彗は、民とともに灰城へ移住することになります。
離眼を失い、灰城へ流れた紀彗でしたが、民を守るという信念は変わりませんでした。 灰城の地で、再び民と強い絆を結び、新たな離眼を作ろうとしたのかもしれません。
紀彗の生き様は、民を想う将軍の鑑と言えるでしょう。 たとえ敗北しようと、民を守ることを諦めない。 その強い意志こそが、紀彗の最大の魅力だったのです。
まとめ:キングダムの紀彗とは
・紀彗は離眼城の城主である紀昌の息子で、民から慕われる完璧な城主兼将軍だった
・若き日の紀彗は馬呈、劉冬とともに活躍し、旦虎の戦いで唐寒を討ち取り離眼側の勝利に貢献した
・慶舎に知勇兼備の名将として認められ、副将に抜擢された
・黒羊の戦いでは中央丘の味方を鼓舞し反撃するなど大活躍を見せた
・慶舎の死後、金毛を説き伏せて継戦を決意し、実質的な総大将となった
・桓騎の非道な戦略により離眼を見捨てられず、黒羊から撤退せざるを得なくなった
・離眼城は唐釣によって落とされ、父と主要な大人達が処刑されるという悲劇に見舞われた
・朱海平原の戦いでは趙軍右翼の指揮を執り、李牧とともに奮闘した
・蒙恬の策によって膠着状態に陥り、最終的に敗北し民とともに灰城へ移住することになった
・民を想う将軍としての生き様は、たとえ敗北しようと民を守ることを諦めない強い意志の表れだった
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