キングダムに登場する飛信隊をご存知でしょうか?
飛信隊は、主人公の信が率いる精鋭部隊です。
農民出身の歩兵を中心とした編成ながら、
その強さは秦国軍随一と言われています。
この記事では、そんな飛信隊の魅力に迫ります!
名前の由来から、隊員の特徴、
そして彼らが歩んできた道のりまで、
飛信隊の全貌を解説していきます。
飛信隊の虜になること間違いなし!
ぜひ最後までお付き合いください。
この記事のポイント
・飛信隊の名前の由来や特徴について理解できる
・飛信隊のメンバーや組織構成について理解できる
・飛信隊の来歴や主な戦績について理解できる
・飛信隊が秦国軍の中でどのような位置づけにあるかについて理解できる
キングダム 飛信隊とは秦国軍の精鋭部隊
- 飛信隊の名前の由来は前漢の将軍・李広(りこう)
- 飛信隊は主人公・信(しん)が率いる特殊部隊
- 飛信隊は農民出身の歩兵が主力の強力な部隊
- 信や羌瘣(きょうかい)・羌礼(きょうれい)の蚩尤(しゆう)は最強クラスの武力者
- 怪力三人衆や独自の強みを持つ隊員が在籍
- 飛信隊は独立遊軍として柔軟な対応が可能
- 隊員間の関係は良好だが信への依存度が高い
- 飛信隊は虐殺(ぎゃくさつ)や陵辱(りょうじょく)を行わない高潔な部隊
飛信隊の名前の由来は前漢の将軍・李広(りこう)
飛信隊の「飛」という字は、前漢時代の将軍である李広(りこう)の異名「飛将軍」に由来しています。
李広は、匈奴(きょうど)討伐で名を上げた名将で、李信(りしん)の子孫にあたります。
李広の活躍ぶりから、「飛」という字が飛信隊の名前に使われているのです。
このように、飛信隊の名前には、李信の先祖である李広の勇猛果敢な姿が反映されているのです。
飛信隊は主人公・信(しん)が率いる特殊部隊
飛信隊は、キングダムの主人公である信(しん)が率いる特殊部隊です。
信は、かつては奴隷だった少年でしたが、数々の戦で功績を上げ、千人将から五千人将、そして将軍へと出世していきました。
信は、類まれな武力と統率力を兼ね備えた将で、飛信隊員からも絶大な信頼を得ています。
このように、主人公である信が率いることで、飛信隊は他の部隊とは一線を画する精鋭部隊となっているのです。
飛信隊は農民出身の歩兵が主力の強力な部隊
飛信隊は、農民出身の歩兵が主力となっている部隊です。
彼らは、普段は農作業に励む一般市民ですが、いざ戦となれば強力な戦力となります。
他の部隊と比較しても、飛信隊の歩兵戦闘力は非常に高いと評価されています。
このように、飛信隊は農民であっても精鋭と呼ぶにふさわしい強力な部隊なのです。
信や羌瘣(きょうかい)・羌礼(きょうれい)の蚩尤(しゆう)は最強クラスの武力者
飛信隊には、最強クラスの武力者が揃っています。
隊長の信を筆頭に、羌瘣(きょうかい)と羌礼(きょうれい)の蚩尤(しゆう)コンビは、作中でもトップクラスの武力を誇っています。
彼らは、馬上よりも歩兵戦の方が活躍の場が多いですが、それでも敵軍を圧倒する強さを見せつけます。
このように、最強クラスの武力者が揃う飛信隊は、戦場でも無類の強さを発揮する部隊なのです。
怪力三人衆や独自の強みを持つ隊員が在籍
飛信隊には、怪力三人衆と呼ばれる田有(でんゆう)、中鉄(ちゅうてつ)、竜川(りゅうせん)など、規格外の怪力を持つ隊員がいます。
また、崇原(すうげん)、我呂(がろ)、干斗(かんと)など、武力以外にも独自の強みを持つ隊員も在籍しています。
このように、個性豊かな隊員が集まることで、飛信隊は多彩な戦術を展開できる部隊となっているのです。
多才な人材が揃う飛信隊だからこそ、どのような戦場でも活躍できるのです。
飛信隊は独立遊軍として柔軟な対応が可能
飛信隊は、秦国軍の中でも特殊な位置付けとなる独立遊軍です。
独立遊軍とは、秦国宰相である昌平君(しょうへいくん)直属の部隊で、通常の軍団とは別動できる特殊部隊のことを指します。
この独立遊軍という立場のおかげで、飛信隊は柔軟な戦術を取ることが可能となっています。
状況に応じて素早く動けるのは、飛信隊の大きな強みの一つです。
隊員間の関係は良好だが信への依存度が高い
飛信隊の隊員たちは、親交も深く、非常に仲が良いことで知られています。
これは、副長の渕(えん)が隊員との関係を上手く取り持っているおかげでもあります。
一方で、信に対する隊員の依存度は非常に高く、朱海平原(しゅかいへいげん)の戦いで信が倒れた際には、部隊全体が動揺したこともありました。
このように、信は飛信隊にとって精神的な支柱となっているのです。
飛信隊は虐殺(ぎゃくさつ)や陵辱(りょうじょく)を行わない高潔な部隊
飛信隊は、敵国の民衆に対する虐殺(ぎゃくさつ)や女性への陵辱(りょうじょく)を一切行わないことで知られています。
このような行為を行わない軍隊は、中華統一時代には非常に珍しく、飛信隊の評判は秦国外でも上々です。
実際、趙の平陽(へいよう)を陥落させた際には、城内の民衆から歓迎されたとも言われています。
このように、飛信隊は戦に勝利するだけでなく、民衆からの支持も集める高潔な部隊なのです。
キングダム 飛信隊の来歴と戦績
- 紀元前244年に王騎(おうき)直轄の百人隊として結成
- 馬陽戦(ばようせん)で趙の将軍・馮忌(ふうき)討伐の大功
- 山陽戦(さんようせん)で千人隊に拡張、魏軍と激戦
- 王弟謀反編(おうていむほんへん)で羌瘣隊と合流し五千人隊に
- 著雍戦(ちょようせん)後は信が五千人将、羌瘣が三千人将に
- 鄴(がい)攻略戦後は信が将軍、羌瘣が五千人将に昇格
- 影丘戦(えいきゅうせん)で1日で攻略、平陽城(へいようじょう)も陥落
- 肥下戦(ひかせん)で桓騎(かんき)討死、那貴(なき)一家離反で苦戦
- 番吾戦(ばんごせん)で三万の軍団に、韓攻略へ
- キングダムの飛信隊とは?:総括
紀元前244年に王騎(おうき)直轄の百人隊として結成
飛信隊は、紀元前244年に結成された百人隊が前身です。
初代隊長は王騎(おうき)で、信(しん)、羌瘣(きょうかい)、羌礼(きょうれい)らは副官を務めていました。
当時はまだ規模も小さく、無名の部隊でしたが、王騎の指揮の下、少しずつ頭角を現していきます。
このように、飛信隊は王騎率いる百人隊として産声を上げたのです。
馬陽戦(ばようせん)で趙の将軍・馮忌(ふうき)討伐の大功
飛信隊が一躍有名になったのは、馬陽戦(ばようせん)での活躍がきっかけでした。
馬陽では、趙の名将・馮忌(ふうき)率いる軍勢と秦軍が激突しますが、膠着状態が続いていました。
そこで王騎が飛信隊を投入し、信らの活躍で馮忌本陣に迫ります。
最後は王騎自らが馮忌を討ち取り、見事勝利を収めたのです。
馬陽戦での功績により、飛信隊の名は一気に軍中に轟くこととなりました。
山陽戦(さんようせん)で千人隊に拡張、魏軍と激戦
馬陽戦後、飛信隊は千人隊に拡張されます。
山陽戦(さんようせん)では、魏の大軍と激突し、苦戦を強いられました。
特に、不落の魏将・喜(き)との一騎打ちで、信は窮地に立たされます。
しかし、持ち前の勇猛果敢さで何とか喜を討ち取り、魏軍を退けることに成功しました。
千人隊となり、より大きな責任を背負うこととなった飛信隊でしたが、信の活躍によって難局を乗り越えたのです。
王弟謀反編(おうていむほんへん)で羌瘣隊と合流し五千人隊に
王弟謀反編(おうていむほんへん)では、秦王の弟・成蟜(せいきょう)が反乱を起こします。
これに対し、信は羌瘣(きょうかい)と共闘し、反乱軍と戦うことになりました。
結果的に成蟜は討たれ、反乱は収束しますが、この戦いをきっかけに羌瘣隊が飛信隊に合流します。
これにより、飛信隊は五千人隊にまで規模を拡大したのです。
王弟謀反編は、飛信隊の転機となった重要な戦いだったと言えるでしょう。
著雍戦(ちょようせん)後は信が五千人将、羌瘣が三千人将に
著雍戦(ちょようせん)後、信は五千人将に昇格します。
一方、羌瘣(きょうかい)は信の副官として三千人将に任命されました。
ここから飛信隊は、信を中心とした新体制となります。
昇格に伴い、より重要な役割を担うことになった信でしたが、羌瘣の補佐もあり、部隊を的確に指揮していくのです。
鄴(がい)攻略戦後は信が将軍、羌瘣が五千人将に昇格
鄴(がい)攻略戦では、信が軍略を立て、見事鄴を落とすことに成功します。
この戦果が認められ、信は将軍に昇格しました。
それに伴い、羌瘣(きょうかい)も五千人将に昇格しています。
将軍となった信を中心に、さらに大きな軍勢を率いることとなった飛信隊。
鄴攻略戦は、飛信隊が秦国軍の中核を担う精鋭部隊へと飛躍するきっかけとなった戦いだったのです。
影丘戦(えいきゅうせん)で1日で攻略、平陽城(へいようじょう)も陥落
飛信隊は、影丘戦(えいきゅうせん)でも活躍します。
難攻不落の要塞・影丘を、わずか1日で落とすという快挙を成し遂げたのです。
また、平陽城(へいようじょう)攻略戦でも、飛信隊は重要な役割を果たしました。
圧倒的な戦力で平陽城を陥落させ、趙征伐に大きく貢献したのです。
影丘戦と平陽城攻略戦での活躍により、飛信隊の名声はさらに高まっていきました。
肥下戦(ひかせん)で桓騎(かんき)討死、那貴(なき)一家離反で苦戦
飛信隊は、肥下戦(ひかせん)で大きな痛手を負います。
千人将の桓騎(かんき)が戦死し、副長の那貴(なき)一家が離反してしまったのです。
さらに、楚の大将・春申君(しゅんしんくん)率いる大軍に苦戦を強いられました。
那貴の離反により、隊の結束に乱れが生じ、なかなか連携が取れない状況に。
しかし、窮地に立たされても信は諦めることなく奮闘し、何とか肥下を落とすことに成功したのです。
番吾戦(ばんごせん)で三万の軍団に、韓攻略へ
番吾戦(紀元前232年)では、李信隊五千と羌瘣隊三千の合わせて八千まで数を減らしていた飛信隊だが、前線の都市・太原に向かい、そこで合わせて二万二千の兵が補充され、以前の倍の三万の軍団となった。
韓攻略(紀元前231年)のため、飛信隊はさらに兵力を拡大し、李信が大将軍の手前(五万)、羌瘣が将軍(一万)、楚水・渕が五千人将に格上げされ、飛信隊は総勢六万の兵を率いる大軍勢へと成長を遂げた。
よって番吾戦から韓攻略にかけて、飛信隊は八千から三万、そして六万へと短期間で大幅な兵力拡大を行い、秦国軍の中核を担う大軍団へと発展したことが分かります。李信や羌瘣らの活躍と手腕が兵士を引き付け、飛信隊の急成長を後押ししたのだと思われます。
キングダムの飛信隊とは?:総括
・飛信隊の名前の由来は、前漢の名将・李広の異名「飛将軍」に由来している
・飛信隊は、主人公の信が率いる特殊部隊であり、農民出身の歩兵が主力の強力な部隊だ
・信や蚩尤の羌瘣・羌礼は、最強クラスの武力者として知られている
・飛信隊には怪力三人衆や独自の強みを持つ隊員が在籍しており、多才な人材が揃っている
・飛信隊は独立遊軍として、柔軟な戦術を取ることが可能だ
・隊員間の関係は良好だが、信への依存度が高いのが特徴である
・飛信隊は虐殺や陵辱を行わない高潔な部隊として知られている
・紀元前244年に王騎直轄の百人隊として結成され、その後千人隊、五千人隊へと拡大していった
・馬陽戦での活躍で一躍有名になり、山陽戦や王弟謀反編でも活躍を見せた
・著雍戦後は信が五千人将、羌瘣が三千人将に昇格し、新体制となった
・鄴攻略戦後は信が将軍、羌瘣が五千人将に昇格し、秦国軍の中核を担う精鋭部隊へと飛躍した
・番吾戦から韓攻略にかけて、飛信隊は八千から三万、そして六万へと大幅な兵力拡大を遂げた
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